干し芋王国「茨城県」の謎。全国の干し芋生産の9割を占めている茨城県が干し芋王国となった理由や歴史、干し芋生産量が1位に発展した理由を調べてみた!

ダイエットや健康維持にも適しているといわれる、干し芋。現在、全国の干し芋生産の9割を茨城県が占めていますが、なぜこれほどまでに茨城県での生産が多いのかご存じでしょうか。
この記事では、茨城県が干し芋王国と呼ばれるようになった経緯と、その理由について解説します。

干し芋とは

干し芋とは、蒸したさつまいをスライスして乾燥させた、和スイーツです。正式名は「甘薯蒸切干(かんしょむしきりぼし)」といい、カリウムを筆頭に、ビタミンB1や食物繊維などが多く含まれる自然食品として知られています。また、腹持ちの良さも干し芋の特徴です。そのため、近年では血糖値を上げにくい低GI食品として、ダイエットや筋トレなどをしている方からも注目を集めています。

干し芋の歴史

茨城県の特産品となっている干し芋ですが、発祥は静岡県だといわれています。ここからは、どのようにして茨城県で干し芋生産が盛んになっていったのか、その歴史について紹介します。

静岡県でスタートした干し芋作り

干し芋作りの誕生は江戸時代、1824年のことです。静岡県でサツマイモ栽培が進む中、御前崎地方に住んでいた栗林庄蔵が、釜で茹でたさつまいもを薄く切って干す「煮切り干し」製法を思いついたのが、干し芋のルーツといわれています。その後、1892年頃には、現在のように蒸したさつまいもを厚めに切って乾燥させる製法が誕生。生産量は急激に伸び、大正時代には県全体で干し芋作りが行われるほどでした。

茨城県に広まったのは明治後期

一方、茨城県に広まったのは明治後期からです。1895年、照沼勘太郎が、静岡県沖で遭難した際に目にした干し芋を、茨城県で真似たのがきっかけといわれています。その後、現在のひたちなか市地域でせんべい屋を営んでいた湯浅藤七や、同市に住む小池吉兵衛が干し芋の製造を開始。茨城県でも干し芋は瞬く間に普及し、1933年頃には約3,000万トンを超える量の干し芋を製造していたといわれています。しかし、戦争が激化するにつれてさつまいもが統制され、戦争末期には干し芋製造が一時的に禁じられました。

静岡県の生産量が低下

国の統制が解除され、干し芋の生産が再び始まったのは1950年です。解除後、茨城県は積極的に干し芋造りに取り組み、1952年には約4,500トン、1956年には約1万トンと、どんどん生産量を伸ばしていきました。一方、静岡県は、1950年から3年ほどは約7,000トンを超える量の干し芋を作っていたものの、1953年をピークに生産量が減少。これは、静岡県が温室メロンやいちご、花などの作物の栽培にシフトしていったためです。その結果、徐々に茨城県と静岡県の生産量に差が生じていきました。

茨城県が干し芋の生産量全国第1位へ

現在、茨城県の干し芋の生産量は全国1位です。農林水産省によると、2019年の茨城県における干し芋の生産は約3万2,000トン。2位の1,800万トンを生産する静岡県に大きく差をつけ、全国生産の約9割を担っているのです。こうした経緯を経て、今や茨城県は干し芋王国とも呼ばれています。茨城県では、干し芋の原料として玉豊を筆頭に、紅はるかやいずみ、みつきや玉乙女など多くの品種が栽培されています。干し芋王国の名の通り、サービスエリアや専門店、スーパーといった多くの場所でさまざまな干し芋が購入できるため、茨城県を訪ねる際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

茨城県が日本一の干し芋生産地に発展した理由

国内シェア率9割を占める茨城県ですが、なぜ茨城県でこれほど干し芋が生産されているのでしょうか。最後に、茨城県が日本一の干し芋の生産地に発展した理由について解説します。

茨城県の土壌とサツマイモの相性が抜群

第1の理由に、茨城県の豊かな土壌が挙げられます。さつまいもの栽培は温暖な気候で、水はけの良い土壌が望ましいといわれています。干し芋の大部分を生産しているひたちなか市や東海村、那珂市の土壌は、火山灰によって生成される黒ボク土です。黒ボク土は適度な保水性や透水性、通気性を併せ持っており、旨みたっぷりのさつまいもが育ちます。さらに、ひたちなか市などの地域は太平洋に面した地域であり、ミネラルを沢山含んだ潮風は土壌への栄養に加えて、干し芋の乾燥にも適しています。茨城県の風土そのものが、干し芋の原材料であるさつまいもの栽培と相性が抜群なのです。

冬季に晴天が続きやすい

次に、茨城県が冬季に晴天が続く気候であるという点も挙げられます。干し芋は、名前の通り、さつまいもを干して乾燥させたお菓子です。そのため、冬季の長い晴天は美味しい干し芋作りに欠かせません。茨城県は、全国的にみても晴天率が高く、特に冬は、乾いた北西からの季節風によって晴天が続きやすい傾向があります。こうした気候も干し芋作りに最適な環境を作り上げているのです。

加工しやすい主力品種の存在

加工しやすい主力品種の存在も、茨城県が干し芋王国と呼ばれるようになった理由の1つです。干し芋産地の茨城県における主力品種は、「玉豊」です。1960年に品種登録された玉豊は、収穫量も多く望める上に加工特性に優れており、黒斑病やネグサレセンチュウなどの、病気にも強い特徴があります。市場に出回る干し芋の多くが茨城県の玉豊で作られていることからも、玉豊はもはや干し芋の代名詞的存在であるといえるでしょう。

まとめ

干し芋は、蒸して乾燥させるというシンプルな工程ですが、さつまいもの品種によって歯ごたえや色、味覚を楽しむことができます。太平洋沿岸にある茨城県の、豊かな土壌で育つさつまいもの味を、ぜひ味わってみてください。