
川越で、250年以上も前から栽培され続けている「川越いも」。川越の名物として、多くの人に愛されてきたさつまいもですが、そもそも、なぜこれほど有名になったのかをご存じでしょうか。今回は、川越がさつまいも産地として有名になった経緯と、その特徴についてご紹介します。
川越いもとは?
川越いもは、武蔵野台地に位置していた川越藩やその周辺地域で栽培されていたさつまいもを指します。江戸時代にその栽培が始まり、甘みや風味が際立つその美味しさは、江戸の庶民の間で広く知られていました。その人気ぶりは、「九里四里(栗より)うまい十三里」という洒落を交えた表現で称えられるほどで、江戸からの距離にちなみながら、その味わいをたたえる言葉として語り継がれてきました。
川越市はさつまいもの名産地として知られる土地ですが、現代では茨城県や千葉県などの大規模生産地と比較して、出荷量は少なくなっています。2017年度の農林水産省の作況調査によれば、埼玉県全体のさつまいも出荷量は5,670トンにとどまり、全国シェアはわずか0.7%とされています。この数字からもわかるように、かつて川越を象徴していたさつまいもの生産規模は縮小傾向にあります。しかし、その歴史や文化的な価値は今なお根強く、川越いもは地域の伝統を象徴する存在として、多くの人々に親しまれ続けています。
川越地域(川越市、所沢市、狭山市、三芳町)でさつまいも栽培が盛んに行われるようになったのは江戸時代のこと。武蔵野台地にある川越藩とそこに隣接する地域で生産されるさつまいもが「川越いも」と呼ばれ始めました。
川越いもの歴史
川越市は埼玉県の武蔵野台地の東北端に位置し、肥沃な土壌と優れた栽培技術を活かしてさつまいもの安定生産を実現してきた地域です。その歴史は江戸時代に遡り、当時の川越藩は新たな作物としてさつまいもの栽培に取り組みました。川越の土壌はさつまいもの栽培に適しており、さらに農民たちが技術を磨き、収量と品質の向上に努めたことで、さつまいもは地域を代表する作物として成長していきました。江戸との物流網が整備されていたことも大きな要因となり、川越のさつまいもは都市部へと広がり、その甘さと風味で評判を呼びました。江戸の庶民の間では「九里四里(栗より)うまい十三里」と言われ、川越から江戸への距離をもじりながらその美味しさが語られるほどの人気を博しました。これにより、川越は「さつまいもの町」としての地位を確立し、経済的にも大きな恩恵を受けることとなりました。
その後も、川越の農家は改良を重ね、品種の改良や栽培方法の工夫を通じて、品質のさらなる向上を追求しました。これらの取り組みが実を結び、川越はさつまいもの名産地としての名声を確立しました。現在では生産量は減少しているものの、その歴史や文化は地域の誇りとして受け継がれています。
川越いも作りが始まった江戸時代
川越でさつまいもの栽培が始まったのは江戸時代のことです。享保の大飢饉をきっかけに、青木昆陽がさつまいもを飢饉時の救済作物として推奨し、その栽培が全国的に広がりました。この流れの中で、南永井村(現在の富士見市)の吉田弥右衛門がさつまいもに注目したのが川越いもの始まりとされています。1751年、吉田弥右衛門は、上総国(現在の千葉県)のすでにさつまいもの栽培が盛んだった地域から種イモ約200個を買い付け、自身の土地で栽培を開始しました。
吉田弥右衛門の取り組みは、当時の地域農業にとって画期的なものであり、南永井村での栽培の成功が周辺地域への波及効果をもたらしました。彼の技術を手本として、川越市だけでなく、所沢市、新座市、狭山市、三芳町といった武蔵野台地一帯の地域でもさつまいもの栽培が広がり、これらの地域が一大生産地として発展していくきっかけとなりました。このさつまいも栽培は、地域の農業基盤を支えるだけでなく、江戸時代の飢餓対策としても大きな役割を果たしました。肥沃な土壌と適した気候条件、そして農民たちの努力により、川越いもはその品質と甘さで広く知られるようになり、やがて川越を象徴する特産品へと成長しました。この歴史的背景が、川越が「さつまいもの町」として今も語り継がれる所以となっています。
焼き芋ブームから「さつまいも産地」のイメージが浸透
川越がさつまいも産地としてその名を広めたのは、江戸時代後期のことです。当時、江戸では焼き芋が大流行し、街中には焼き芋を売る店が軒を連ねるようになりました。このブームにより、江戸の需要を満たすため、多くの農家がさつまいもの栽培に取り組むようになりました。その中でも、武蔵野台地の川越藩やその周辺領の村々で育てられる川越いもは、特に高い評価を受けていました。川越の土壌はさつまいもの栽培に非常に適しており、そこで育つ川越いもは、色や形が美しく、味わいも優れていることから、品質の高さで評判を得ていました。また、地理的な利点も大きな役割を果たしました。新河岸川を利用して船で江戸へ直接出荷することが可能だったため、流通の効率が良く、大量の川越いもが江戸の市場に届けられました。このように、高品質のさつまいもと優れた流通システムが相まって、川越はさつまいもの名産地としての地位を確立していったのです。
さらに、川越いもの人気は、江戸の庶民文化とも深く結びついていました。その甘みや風味は庶民に愛され、焼き芋の原料としても最適だったため、江戸の食文化に欠かせない存在となりました。こうした背景を通じて、川越のさつまいもは名物として広く浸透し、地域の象徴的な農産物としてその名を刻むことになりました。
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川越いも生産の最盛期となった明治・大正時代
明治時代に入っても川越いもの需要は衰えることなく、東京の甘薯問屋へ大量に出荷されるようになりました。この需要の高まりを背景に、さつまいもの増産を可能にしたのが川越の農業革新者、赤沢仁兵衛です。赤沢仁兵衛は、さつまいもの栽培効率を向上させるため、種イモの選定方法や肥料の施し方などを徹底的に研究し、単位面積あたりの収量を倍増させる画期的な方法「赤沢式」を確立しました。この革新により、川越地域全体の生産性が大幅に向上しました。
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芋掘りなど農業観光が盛んな街へ
戦後の川越市とその周辺地域では、都市化や他地域の大規模生産地台頭の影響を受け、さつまいもの生産高は次第に減少しました。その結果、現在の川越市の生産規模は茨城県や鹿児島県といった主要産地に比べると小規模になっています。しかしながら、川越市とその周辺地域では、さつまいも文化が色濃く残り、その魅力は多方面で継承されています。
現在、川越市周辺にはさつまいもを使った料理店や菓子店が数多く軒を連ね、地元の特産品として観光客に親しまれています。特に農業観光が注目を集めており、秋には芋掘り観光が人気を博しています。毎年約3万人もの観光客が訪れ、土に触れながら新鮮な川越いもを収穫する体験を楽しんでいます。こうした観光事業は、地域経済の活性化に貢献しながら、川越いもの価値を新たな形で発信しています。また、川越市に隣接する三芳町では、川越いもを中心とした加工品の販売が盛んです。「いも街道」として知られるエリアには、さつまいもを使ったアイスや羊羹、焼酎などの加工品を取り扱う店舗が集まり、訪れる人々を魅了しています。このような取り組みを通じて、さつまいもは地域の特産品としての地位を維持し続けています。
令和4年 川越市入込観光客数 5,509,000人(千人未満切捨て)
- ウエスタ川越(大ホールのみ)156,565人
- あぐれっしゅ川越 311,963人
- 小江戸蔵里 255,988人
- 川越総合卸売市場(お客様感謝市) 103,997人
- いも掘り観光 30,600人
- 天然温泉施設 564,643人
- 川越水上公園(プール以外) 120,546人
- 川越水上公園プール 125,661人
川越いもの特徴
川越いもとは、川越地域で栽培されるさつまいも全般を指し、その栽培方法や歴史は長い伝統を持っています。特に特徴的なのが、江戸時代から受け継がれている「落ち葉堆肥農法」です。この農法は、落ち葉を堆肥として土壌に還元し、自然の力で大地の栄養を豊かにするというものです。手間と時間がかかるものの、この方法で育てられた川越いもは独特の甘さと風味を持ち、根強いファンに支持され続けています。
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川越市では、さつまいも栽培が盛んで、主に以下のような品種が育てられています。
- 紅赤
- 紅あずま
- 紅はるか
- シルクスイート
中でも紅赤は、川越いもの代名詞とも言われる特別な品種です。この品種は「さつまいもの女王」と称され、100年以上の歴史を持つ伝統的なさつまいもです。紅赤は鮮やかな紅色の皮と上品な甘さが特徴で、多くの人々を魅了してきました。しかし、栽培が難しく、安定的な生産が困難なため、現在では川越いもの主力品種が紅あずまに移行しています。それでも紅赤は高級ブランド芋として扱われ、その希少性から特別な価値を持ち続けています。
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まとめ
江戸時代に「本場もの」として広く知られ、江戸の庶民に愛された川越いもは、現在も川越を訪れる多くの観光客に親しまれています。その深い甘みと豊かな風味は、さつまいもが庶民の暮らしを支えた歴史を物語る一品といえるでしょう。生産量こそ、現在では鹿児島県や茨城県、千葉県といった主要産地には及びませんが、川越いもには他にない魅力があります。
その大きな特徴は、江戸時代から続く伝統的な「落ち葉堆肥農法」によって栽培されている点です。この農法は、自然の循環を活用して土壌の栄養を高める手間のかかる方法であり、それがさつまいもの豊かな味わいに繋がっています。どの品種も土の恵みをたっぷり受けて育つため、口にすると一口ごとに深い美味しさを感じられるでしょう。また、川越いもはその品種ごとに特徴があります。伝統的な紅赤は「さつまいもの女王」と呼ばれる上品な甘さが特徴で、紅あずまや紅はるかといった現代の品種も、それぞれに異なる魅力を持ちます。観光地ではこれらを使った菓子や料理も楽しめるため、川越いもの奥深い味わいを余すところなく体験できます。
歴史を知り、川越いもの背景にあるこだわりを感じたうえで味わえば、その美味しさは一層特別なものとなるでしょう。川越の伝統を受け継ぐさつまいもをぜひ手に取り、その魅力を味覚と心で存分に楽しんでください。
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