小さな町の大きな夢。T.I.F.C.バリエンテと少年たちのフットサル挑戦!五島列島(福江島)の中学校の部活動事情とクラブ活動の立ち位置とは?

2024年3月25日、ある家族が五島を旅立った。この春、長崎のサッカーJ2チーム、V・ファーレンの中学ジュニアユースに入団するため、お父さんだけ五島に残り、兄、妹、お母さんも一緒にV・ファーレンのホームである長崎の諫早に移住することになった。3次テストまである難関を通過したのは、彼が五島初である。ただ中学チームには寮がないため、家族のサポートが不可欠であり、移住となった。

小さな町の大きな夢。T.I.F.C.バリエンテと少年たちのフットサル挑戦

彼は、T.I.F.C.Valiente(以下バリエンテ)という少年フットサルクラブに所属していた。2019年、岐宿町で発足したこの小さなクラブチームは、男の子が柔道や剣道、ソフトボールに入部するのが一般的だった岐宿小学校の子どもたちにとって、フットサルクラブが設立されたことは異例であったかもしれない。正式なクラブになる前は、閉校した岐宿小学校の体育館で、子どもたちが4人程度で活動していたような学童の感覚であった。当時、地域おこし協力隊として大阪から移住してきた現在のコーチ、峯田さんが自腹で使用料を払い、ボランティアで指導していた。任期1年目は、岐宿小学校閉校直前の子どもたちとの交流が多かった。職場の近くで、昼休みと放課後、ひとりでサッカーをする子がおり、その男の子にサッカーを教えるようになったのがきっかけだ。「柔道も剣道もソフトボールもやりたくない、自分はサッカーがしたいのにサッカー部がない」と訴える子どもたちが何人かいることを知り、体育館で指導することにした。

峯田コーチは、大学・社会人フットサルチームで活躍していたプレーヤーだった。日本代表チームのM選手も彼の後輩である。ケガをしてプロを断念し、失望の中、祖父の住む五島列島に地域おこし協力隊として赴任し、島の子どもたちにフットサルの楽しさを教えたいという気持ちが強くなった。フットサルに馴染みのない地域の人や役場の人たち、学校側は、少子化の中、岐宿地区の小学校が3校閉校し、合併する中で、「なぜ今さら新しいクラブを立ち上げるのか」と冷ややかな目で見られた。しかし、フットサルはキーパーを含む5人で試合ができ、室内で練習が可能であるため、天候に左右されないという利点があった。地域おこし協力隊2年目には、岐宿町町おこし事業として、岐宿町の体育館と、五島市民体育館で、峯田コーチのかつてのチームメイトでプロの選手2名を五島に招き、フットサルクリニックを開催した。岐宿地区だけでなく、他の小学校のサッカーチームも参加し、盛況であった。保育園でもサッカー教室を行い、サッカーの普及に努めた。そうした努力が少しずつ認められ、保護者数名から正式にフットサルクラブを発足させてほしいと頼まれた。サッカーチームはいくつか存在したが、フットサルクラブは五島列島で初めての試みだった。

正式な部活動になる少し前、T君は兄と共に1年生の時に入部した。息子と体育館に見学に行った際、子どもたちが途中でお菓子を食べたりゲームを始めることもあり、入部をためらうほどだった。しかし、正式なクラブチームになると、息子を含むT君と同じ学年の子どもたちが次々と入部し、別の広い体育館で練習するようになると、少しクラブチームらしくなった。何よりもスポーツ少年団と、五島市サッカー協会に登録したことでサッカーのリーグ戦にも参加できるようになり、目標が明確になった。しかし、最初のサッカーの試合では24点もの得点を許し、フットサルの公式戦も完敗した。しかし、低学年のチームは第2回目の岐宿町主催のフットサル大会で優勝するという快挙を成し遂げた。この時からT君をはじめ彼らは才能を示し始めた。

中学校の部活動事情とクラブ活動の立ち位置

発足2年目には6年生が活躍し、サッカーらしい試合ができるようになった。保護者の結束も固まってきた。6年生の最後の試合では惜しくも準優勝し、悔し涙を流した。なぜなら、岐宿中学校にはサッカー部がなく、男子はサッカー部のある学校に転校しない限り、他の部活動に強制的に入部させられるからだ。サッカーチームは実質的に福江中学校のみであった。2年遅れで発足した富江のクラブチームは署名運動まで行い、富江中学校にサッカー部を設立しようと動いたが、教育委員会からの許可が下りなかった。

それを目の当たりにし、岐宿中学校にもサッカー部を設立することは無理だと感じた。サッカー協会はこの現状を踏まえ、富江と岐宿の合同サッカークラブを立ち上げた。しかし、クラブチームであるため、公式戦には出場できず、学校の部活動との掛け持ちが条件となり、練習は後者を優先しなければならなかった。他の小規模な中学校も同じ状況を強いられ、好きなスポーツを続けられない中学生活を送っていた。五島市のPTA会長会議でこれが議題に上がり、校長会、教育委員会に子どもたちの現状を訴え続けた。その結果、今年の春にやっとクラブチームも中総体に出場できるようになったが、バリエンテチームの2期生は夢が叶わないまま中学校を卒業し、もしも1年早ければと保護者は涙をのんだ。

バリエンテの転機は、移住者としてきた子の入部をきっかけに始まった。

2期生の5人が卒団し、その後高学年がひとりしかおらず、実質3年生のチームでリーグ戦を戦い続け、6年生相手に試合をし、体の大きさ、技術で全く歯が立たなかった。低学年は辞める子もいた。練習する場所も学校から離れており、親の送迎が不可欠で、平日休む子も多かった。チームの認知度もまだ低く、入部者がこれ以上いなければクラブチーム存続の危機だった。そんな中、4年生の夏休み明けに隣の三井楽小学校から兄妹が入団した。移住前もサッカーチームに所属していたこともあり、2人は体が大きく存在感があり、チームにとって良い刺激となった。女の子は同じ4年生でチーム初の女子団員だった。入団して初めての試合から大活躍し、6年生の時にはキャプテンも務めた。2人が入団したことで、三井楽小学校からサッカーをしたい子どもたちが続々と入団し、さらに女の子も増え、チームは賑やかになった。

チームの横断幕もようやく作成でき、スポンサーを集めてチームTシャツも作成した。地域に支えられるチームとなった。

それでもなかなか結果を出せなかったこれまでのチームの苦難の日々

普段は体育館でフットサルの練習をしているが、コロナの影響もあり、室内のフットサルの試合は県大会を含め年にたった4回ほどしかない中で、サッカーのリーグ戦を通じて少しずつ力をつけてきたバリエンテ。そして、バリエンテから五島市トレセンに4名が選ばれ、さらに絞り込まれて他のサッカーチームをしのぎ、県のトレセンに3名が選ばれるという快挙を成し遂げた。その中にはT君と女の子もいた。例年は五島全体から1名しか出ない中で、今年は異例の出来事だった。

女の子は県の女子トレセンのキャプテンも務め、さらに、W杯公式スポンサーのみずほ銀行のCMにも抜擢され、出演している。彼女もまた、県外の中学校の女子チームから声をかけられ、悩んだ末に五島を離れることを決断した。(五島には女子のサッカー部がないからだ。)ただ、五島市予選では準優勝に留まり、富江のチームになかなか勝てなかった。保護者と(自分たちよりもはるかに若い)コーチの意見が衝突することも多かった。勝てる試合と、負けても全員でサッカーを楽しむ試合、どちらを取るかで葛藤があった。

しかし、6年生になった子どもたちは、ビーチサッカーや福江商工会議所主催の試合、フットサルの試合では、ホームである岐宿町体育館で低学年以来4年ぶりに優勝した。さらに、卒業式直前には、6年生全員で参加した佐世保のフットサル大会で準優勝を果たし、コーチを驚かせた。

保護者も大いに感動した。これで2人を笑顔で見送れると感じたからだ。2人以外のメンバーは、4月から福江中チームとクラブチームに分かれたり、サッカーを辞める子もおり、バラバラになるが、このメンバーで挑んだ最後の試合で島の選手の強さをアピールできたことは、後輩たちにとっても大きな自信につながった。今、1年生から入部している子どもたちが6年生の背中を見ながら、力をつけてきている。6年生になる頃には、今の6年生以上に上手くなっているかもしれない。それまでは試合に負け続けるだろう。それでも、コーチは見守り続け、我慢強く指導するだろう。今日もまた1人入部希望者が体育館にやってきている。

峯田コーチが最初に出会った少年で1期生のキャプテンだった子は、岐宿中学校では陸上部に入らざるを得なかったが、その後、海陽高校に進み、再びサッカーを始めた。時々、ふと体育館に現れて後輩の面倒を見てくれている。峯田コーチの夢は、島でプロのフットサルチームを作ることだ。将来、再びこのメンバーでプレーしてもらいたいと願っている。その前に、この春旅立つ2人がプロのサッカー選手になる可能性もある。離島の子どもたちは、好きなスポーツを続けるのがまだ難しく、遠征費用は親にとっても大きな負担だ。移住してきた女の子のお母さんは、そのことに驚いていた。五島市の補助金も活用しているが、成績を残さないとうまく利用できない。そんな中、五島南高校の川原琉人選手の陸上での全国的な活躍は、五島で頑張っている子どもたちを励ましてくれた。

頑張っていても、家庭の事情や環境で埋もれがちな選手たちを見逃さないよう、離島にもスカウトが来る監督が増えていくだろう。V・ファーレンの指導者も、五島から選手を1人迎え入れたことをきっかけに、今後のリーグ戦に足を運んでくれるという。

変わる部活動

五島市ではこの春から、中学生が地元に通いながら、他の中学校の部活動に入部を許可することになった。自分のしたい部活動のために小規模な学校に行かず、中心部の学校に通う子どもたちが集中することへの歯止めをかけるため、教育委員会の苦渋の策であった。今年度、五島市ではまた2つの小学校と中学校がそれぞれ閉校し、それぞれ中心部の福江小学校、福江中学校と合併する。せっかくこれまで培ってきたチームをクラブとして存続させるかどうかの危機に直面している。全国的に教師の放課後や土日の負担を減らすために、外部指導者に指導を任せる傾向がある中、指導者の確保もまた新しい課題となっている。