私は五島に移住して13年目、42歳の中年男性ですが、割と体力と気力は充実しているほうだと思っている。私の趣味に「献血」と「100kmウォーキング」がある。献血は社会に血が足りないという実情から、有り余っている血を少しでも社会のためになるならという思いで始めたが、後日、血液分析数値が届くことを知り、過去の自分との数値での違いが非常にわかりやすいため健康診断ツールとして活用している節も生まれた。
また、献血回数も記録されているため、ポイント集めのような気軽さも生まれて10年ほど続けている。特に、お酒を毎晩飲酒する私にとって肝機能を調べる検査のひとつであるALTの数値は気になるポイントである。
2つ目の趣味である「100kmウォーキング」とは何ぞや!?
100kmを歩く?休憩は?ご飯は?
そう、シンプルに、ただ歩く。しかも24時間以内に。休憩自由、ご飯はどこでたべても自由。この大会に初めて参加したのは大阪市で税理士事務所勤務のサラリーマン時代である。電子部品を開発製造する顧問先の川人社長の薦めで参加したが、麻薬のような中毒性がある辛い、辛い、でもやめられない大会である。初参加は25才で旬の駅で一緒に仕事をしている当時部下であった神田くんも参加した。当時のコース設定は4コース。全て大阪城がスタート地点で、①京都嵐山コース、②奈良飛鳥コース、③兵庫垂水コース、④大阪阪南コース。全て折り返し地点が50kmポイントで往路、復路も同じ歩道を歩く。
しんどかった。足の痛みが人生で感じたことが無い傷みの連続。傷みのミルフィーユ。
初参加のコースは③兵庫県垂水コースで私は54kmでリタイアした。悔しさはなくただ足の痛みが強烈すぎてよく歩いたと思った。二回目は翌年参加し75kmでリタイア。かなりの練習をしたつもりだったので悔しかった。初参加と違い、リタイアした後、ゴール付近で完歩者の晴れやかな表情を見るたびにリタイアした自分を責め、悔しさがにじみ出たことを今でも覚えている。そして三回目で初めて100km完歩したのである。それから数回参加し、久しぶりの今大会であるが、大きく変わった点はコースが④大阪阪南コースのみとなったことである。しかも、参加者も多い時は1,000人超であったが、今年は200人弱と以前に比べると規模が小さく、コロナの影響が大きさを感じる。
メンバーは旬の駅の社員と、数人の経営者仲間など20人ぐらいのチームとなった。天候は晴天。最高の散歩日和である。8時集合し、集合写真をとりながら和気あいあいと朗らかムード。私は何度も歩いているので、その過酷さを知ってるがゆえに少しの緊張感と、これから24時間100km歩く辛さを耐える時間の長さを思い出す時間となった。
ちなみに、今回のための練習量をお伝えすると、ゴルフ3ラウンドと登山有り(生駒山)25kmウォーキング練習。ゴルフは一切カートにのらないので、走行距離は15kmぐらいか。つまり、15km×3回と25kmで合計70kmの練習量である。現在の体重は84kgで過去最高体重で、過去最低の練習量で挑む本大会に完歩できるのか大きな不安がありながら当日を迎えた。気を紛らわすためではないが急遽、13歳の長男ヨッシーも連れていくことにした。
時速5kmで歩くと一時間で5km。往路50kmを10.5時間で歩くのがいつものペース配分。そして復路は60kmまでいってから、その後は5km毎に5分~10分の休憩。80kmを超えると時速4kmぐらいになるのでゴールは8時頃(23.5時間)に到着をイメージする。
大阪城公園を8時35分にスタートし、5km地点はあべのハルカス。10km地点は昔、日本一汚い河川と言われた大和川。順調に歩き、メンバーも塊のまま20km地点。時間は12時を少し回る時間で、昼休憩に飲食店に入りたいメンバーが数人でてくるが、私はそんな余裕がないので、コンビニのおにぎりなどで過ごす。と思っていたら、息子のヨッシーがスシローをみつけて食べたいと・・・。知人に預けて私はゴールを目指す。息子ヨッシーの今回の目標は50km。この辺りで「100kmいけるかも」と余裕の発言。(息子よ、そんなに甘くないぞ)
私と旬の駅のメンバーは塊のまま27km地点のコンビニで10分間の小休憩。この時点で計画より30分ぐらい遅くなっていることに少し焦りを感じながらも、体はまだまだ元気でみなぎっていた。しかし、40km地点で左太ももに大きな痛みが生まれ、この時点でこの傷みは完歩できないパターン。だいぶ焦る。そして、先導する社員のペースについていけなくなり少し離れてくる。そんな中、35km地点にヨッシーが歩いていて、だいぶ足を引きずっているとの情報が入る。(やっぱりね)本人は50kmを目指しているのでリタイアするつもりはなさそうで、他のメンバーに任せて前に進む。その後一時間で45km地点まで進むが、更に太ももが痛くなり足が前に進まなくなる。ヨッシーはスキー用の杖がないと体を支えれないほどに足がぼろぼろになる。それでも50kmに行きたいというので、47km地点にいた私は逆走することを決意。100kmを目指す人からすると100mでも逆走するのは嫌なものだが、何故かアドレナリンが全身を駆け巡りヨッシーを目指す。42km地点で出会った時の息子の安堵した顔が忘れられない。心の中に息子を50km歩かせて私も一緒にリタイアする理由ができたと思っていたが、背中を押しながら少しずつ一緒に歩いていると、「お父さん一緒に50kmで終わろな」といわれ、そうやな…というつもりが何故か「お父さんは100km目指すよ。時間内に100km無理でも24時間は歩き続けるよ」って言ってしまう自分。
中間地点の50km地点に到達したのが22時。もちろんドンケツ。約14時間経過。ヨッシーを旬の駅の専務に預けて家まで送ってもらう。私も「今回は時間内に100kmは無理かなー」って言ってたら専務が「いや、間に合いますよ。時速5kmで歩き続ければいける」って。それは前半の元気な時であって、既にぼろぼろになってる足腰ではどうかなーと思いながらも、まだアドレナリンが全身を覆い、筋肉の超再生が起きてる感覚があったので「たしかに、いけるかも」と復路に進む。
ここからが24時間100km大会の醍醐味であり、私のサクセスストーリー。75km地点まで5時間一切休憩せず、よろよろ歩く参加者たちをごぼう抜き。75km地点でエアーサロンパスなど体のケアに1分ほど使い、直ぐにスタート。旬の駅メンバーに追いつくために前に前に進む。復路で2.5時間の差があったが、94km地点で先頭メンバーに追いついたのである。そして何とか時間内に100kmを完歩。時間は7時30分。つまり23時間で歩き、何と復路は9時間。驚異的なスピード。みんなのゴールを待ちながら解散したのが10時。ちょうどヨッシーから電話があって、「どうやった。ゴール出来た?。凄いやん。間に合ったんや。ごぼう抜きしたん?何人ぐらい?」と親子の会話。
今大会に参加して感じたこと
- 復路で爆歩できたのは、先に歩いているメンバーに追いつくという目標があったから
- 共通体験をすることにより息子と同じ目線で会話する大切さ
- 執筆を27日にしているが、5日経過しても完調せず。20代、30代との違いを体で感じる。
そもそも私が24時間100km大会に継続して参加することになったのは、初回、二回目をサラリーマン時代に部下と一緒に歩いたことにある。社員旅行などで非日常を感じ共通体験をする会社があるが、私のサラリーマン時代の会社は、旅行といえども先輩や社長に気を使い、ご飯の時は晩食をして、全く共通体験などしている気にもなれなかった。同じ場所にいて同じ空気をすうことが共通体験ではない。そういった旅行は社長目線、部長目線、社員目線で参加しなければいけないので、非日常的な研修であると思っている。
しかし、24時間100km大会は完全に共通体験。社長だろうが、店長であろうが歩く距離は同じで、足の傷みのあり、夜中は眠くなり、同じ体験をすることになる。この共通体験から、普段の仕事場で、この時の会話が自然とでて距離が近づくことを実感している。だから、強制は絶対にしてはいけないのである。11月5日に五島で2023絶景福江島マラニック大会があり5時間26kmの部に参加する。社員は8名で和気あいあいと歩きたいものである。この積み重ねが住みよい、過ごしやすい、働きやすい職場づくりになると思っている。
編集部が実際に見て、食べて、飲んで!美味しかったものを厳選!ばらかもん、舞いあがれ!の聖地として有名になった五島市のふるさと納税返礼品のオススメはズバリこれ!
地元の人、旅行で福江島へ訪れる人、出張で福江島へ訪れる人、夕食と同じくらい昼食、ランチを食べるのに…福江島のランチ情報まとめがない。「五島商店 佐藤の芋屋」の「福江島のこと」の記事の中にも多数のランチ、ディナー情報の記事があります。この「福江島のこと」の「ランチ情報」だけ抜き出してスピンアウトしたのが、「福江島ランチーズ」なのです。
アグリ・コーポレーションでは、現在、事業拡大につき新しい仲間を探しています。地元(長崎県五島市)の方をはじめ、地元以外の移住者、移住を検討されてる方、未経験者、大歓迎です。募集職種、ご応募時の問い合わせFAQ等、詳しくは専用ページにて掲載しています。お問い合わせや質問等ございましたらお気軽にご連絡ください。