「おしゃぶー」という商品は五島市(福江島)の新しいかんころの文化です。趣味で始めたひょうたん作りのまさか…の結末は?

姫島という島

長崎県五島市の福江地区で生まれ育って70余年になりますが、世間をよく知らないので、今、仕事をしている三井楽(みいらく)地区に足を踏み入れたのは数回しかありませんでした。縁があってアグリ・コーポレーションで仕事をするようになって5年になります。三井楽(みいらく)地区の事を色々教えてもらっています。沖合に浮かぶ島を見て、「何という島ですか?」と尋ねると姫島(本当は岐宿地区に近い島)

長崎県五島市岐宿町姫島

という島で昔から伝説があり、毎年数ミリずつ島が沈んでいるという話をパートさんたちから聞きました。最初は冗談だと思い、驚きましたが、他のパートさんも同じことをいっているので信じています。あとあの島には、黒曜石か何か鉱物がいっぱい眠っているという話も聞きます。完全に沈没するのに何年かかることやら、見届けられないのが物凄く残念です。

今では無人島ですが以前は、住人もいて学校もあったので人が暮らす立派な島でした。また、時々近くに見える時があるので、もしかしたら動いているんじゃないのか?と思いましたが、空気の状態で、島が近くに見えることがあるようです。そのような時は、雨が近いということらしいです。

姫島の反対側の福江地区には、黒島・黄島(おうしま)・赤島と色が入った島がありますが、私は”姫”という名前のこの島が好きです。そのような姫島が見える畑での仕事は、いつも楽しみにしております。

カンコロ作り

10月中旬から少し冷え込む季節になると、カンコロ作りの作業に入ります。子どもの頃は農家が多かったので、都会に就職した子どもたちに「カンコロ餅」を送る為、どの家庭もカンコロ作りは盛んでした。お腹が減るとカンコロ棚に干している芋をポケットに5~6枚入れて、おやつかわりによく食べていました。それがアグリ・コーポレーションでは、幼児用の「おしゃぶー」という商品になっていて、よくよく考えついたものだと感心しています。何年たっても子どもの時に食した味は変わらないし、懐かしく思い出されます。今、またこうしてカンコロに関係した仕事をしているのが不思議です。現在、5~6人体制でカンコロ作りをしていますが、以前はピーラーで1個1個、皮をむいて、手首が痛くなりましたが、今は皮むき機で皮をむくので、その頃と比べるとかなり楽になりました。カンコロ作りは、見た目には簡単なようでコツが必要な難しい作業です。

難しい釜茹で

一つは、茹で上がった安納芋を釜から取り出すタイミングです。熱い安納芋を触ってみて、爪が入ればOKですが、少しでも湯がき方が足りないと乾いてから黒っぽくなり、美味しく見えません。逆に、茹ですぎると干す時に形が崩れます。何年やっても釜茹で当番の時は神経を使います。最初、失敗したのは、初めての当番の時でした。昼前に1窯干せるようにしようと火を起こし、少し湯気が出たので輪切りにした生芋を入れました。10分経過…、15分経過しても、なかなか湯がききらずどうしたものか?と悩みました。原因は、湯気が出ても完全に沸騰していない状態に冷たい安納芋を入れた場合、温度がぐんと下がるからでした。常に失敗しないよう、皆に迷惑をかけないよう肝に銘じて仕事をしています。ちなみに釜の大きさは直径1メートル、深さは約50センチの大釜です。薪で沸かすため、1月、2月の寒い日は、沸騰するのに時間がかかるのは当然です。

新しいかんころ文化

こうして、ゆで上がった安納芋をカンコロ棚で干します。三井楽(みいらく)地区は北風が強く、カンコロを干すのにぴったりな地区です。この干したカンコロを餅米と一緒に蒸して搗いたのが、カンコロ餅です。しかし、アグリ・コーポレーションでは、干した輪切りの安納芋をハサミで幼児の口に入る大きさにカットし、乾燥機に入れて乾燥させます。これで「おしゃぶー」の完成です。いろいろな人の手間をかけて出来上がった「おしゃぶー」は、長崎県五島市(五島列島)の「新しいかんころ」の文化です。また、オーガニックの安納芋だからこそ、お母さんや小さなお子さんにも安心して食べていただけるはずです。多くの人に愛されている「おしゃぶー」を生んだアグリ・コーポレーションで働けて本当に嬉しいです。

では、私の趣味の話も少し。

私とひょうたんとの出会い

今から40余年前、農協発行の「家の光」という雑誌に、旬の野菜作りというコーナーの中に、「ひょうたんの作り方」というページがあり、興味があったので干成ひょうたん(10㎝~15㎝くらい)を少しですが作ってみました。

ポットの種まきから畝つくり、収穫、加工まで約半年かかりました。少し、絵心があったのでひょうたんに絵付けをして、知り合いのお店に10点ばかり置いていたら、NHK五島支局や長崎新聞の五島支局の記者が、当時話題がなかったのか(笑)、取材に来て、インタビューや絵付けをしている姿をテレビ、長崎新聞で取材され、掲載されたことが今、思い出しても懐かしく思っています。

遠方から、見た人から欲しいと言われましたが、数も少ないし、本業の農業が忙しくなり、断っていました。

ひょうたん御殿を夢見ていたら!?

5年前、両親が年老いて農作業を出来なくなり、何か収入が作れる仕事がないか?考えていましたら、昔、作っていたひょうたんを商売に出来るかな?と考え、「干成ひょうたん」、「大ひょうたん(約30㎝くらい)」を作ってみました。昔の事をいろいろ思い出しながら、一年目はただ、種まきから収穫をするだけでした。育てているうちに病気が出たり、未熟なもの(未熟だと表面が柔らかく、触るとブヨブヨして形が壊れてしまいます)ができたり、なかなか数多くのひょうたんの収穫できませんでした。それでも何点か良い品ができたので絵付けをして、親類や友人達に差し上げたら、評判がよかったので、2年目は数を増やして、1年目失敗した点を改善してなんとか100個近くの品が出来ました。

出来上がったひょうたんに、絵付けをして観光協会に持っていき、なんとか港の売店に置いてもらいました。評判が良かったので作るのが間に合わないくらい売れる!と思っていたのですが…。なかなか売れるものではないですね(笑)「ひょうたん御殿」を夢みていたら、とんでもない!犬小屋も建たなかったです(笑)