今、日本にさつまいもが普通に食べられているのはこの人のおかげ。さつまいもと言えば青木昆陽。青木昆陽とはどんな人物?経歴やさつまいもの普及までまとめてみた

今や当たり前のようにスーパーマーケットに並んでいる、さつまいも。日本で食べられるようになったのは、400年以上も昔の1600年頃(江戸時代)からです。さつまいもはもともと、メキシコを中心とした熱帯アメリカで生まれました。日本にさつまいもを広めた人物は、「青木 昆陽(あおき こんよう)」。彼の働きがあったからこそ、我々は今、おいしくさつまいもを食べられるのです。

青木昆陽のプロフィール

青木昆陽は、江戸時代中期の蘭学者・儒学者です。1698年(元禄11年)6月19日、現在の東京都にあたる江戸で生まれました。京都で儒学を学んでいた際にさつまいもの存在を知り、飢えから人々を救うためにさつまいもの普及に奮励。1769年(明和6年)11月9日、71歳で生涯を終えるまで、目覚ましい活躍を見せました。

青木昆陽の経歴

青木昆陽の実家は魚問屋でしたが、中国や東南アジア諸島で信仰されていた儒教に関心を持ち、学問を志して東京を出ます。京都で、儒学者・伊藤 東涯(いとう とうがい)のもと儒学を学び、東京に戻りました。その後、1733年(享保18年)に行政を司る町奉行・大岡 忠相(おおおか ただすけ)により、幕府書物奉行に登用。各地の古文書調査と蘭学の研究に勤しみました。

青木昆陽によるさつまいもの普及

青木昆陽が、幕府書物奉行として働き始めた時期の1年前、1732年(享保17年)のことです。享保の大飢饉により、日本全土で人々は飢えに苦しんでいました。しかし、現在の鹿児島県にあたる薩摩国では、すでにさつまいもが伝来し、普及していたと言われています。青木昆陽は京都にいた頃に、書物で、さつまいもが狭いスペースでも栽培できること、種芋から簡単に増やせることを知りました。そこで、さつまいもが飢えから人々を救う作物であると考え、江戸に戻った際、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗に文書を提出。青木昆陽の意見は認められ、徳川吉宗からさつまいもの試作栽培を命じられました。まずは、以下の3か所でさつまいもの栽培を始めます。

  • 下総国千葉郡馬加村(現在の千葉市花見川区幕張)
  • 小石川薬園(東京都文京区にある小石川植物園)
  • 上総国山辺郡不動堂村(現在の千葉県山武郡九十九里町)

その後、1734年(享保19年)に江戸にさつまいもを伝えました。翌年1735年(享保20年)には、さつまいもの形や味、栽培方法などをまとめた『蕃藷考』を発表。さつまいもが日本全土に広まるきっかけとなりました。

さつまいもの歴史

さつまいもが日本にやってきたのは、1605年(慶長10年)と言われています。最初に、中国から現在の沖縄県である、琉球王国に伝来。その後、現在の鹿児島県にあたる薩摩国に伝わった、とされています。はじめからさつまいもと呼ばれていたわけではなく、中国での呼び名「甘藷」で知られていました。青木昆陽が江戸に伝えた時点で、「薩摩国のいも」で「さつまいも」となり、現代でも変わらず人々に親しまれています。

青木昆陽にまつわるスポット

江戸時代に、国民を食の危機から救った青木昆陽。その功績から、史跡や彼を祀った神社が存在します。千葉県と東京都にある、3つの関連スポットを見てみましょう。

青木昆陽甘藷試作地

京成千葉線・幕張駅の近くに、「昆陽先生甘藷試作之地」と刻まれた記念碑が建っています。1954年(昭和29年)12月21日に千葉県の指定史跡に制定されました。下総国千葉郡馬加村(現在の千葉市花見川区幕張)は、3か所の試作地の中でも、特に収穫が大きかったことが特徴です。種芋17個から、2石7斗6升(約497kg)もの収穫があったと言われています。千葉県は、現在でもさつまいもの生産量で上位にランクインしています。

青木昆陽甘藷試作地
住所:〒262-0032 千葉県千葉市花見川区幕張町4-598-1
Tel:043-221-8126
公式サイトはこちら

昆陽神社

昆陽神社は、京成千葉線・幕張駅近くの秋葉神社内に建立されました。青木昆陽によって、江戸時代中期に起きた、天明の大飢饉から救われたことを称えています。さつまいもで多くの人を飢えから救った青木昆陽は、「芋神さま」として崇められ、今もなお地元民からの信仰を集めているのです。

昆陽神社
住所:千葉県千葉市花見川区幕張町4-803

青木昆陽墓

青木昆陽は晩年、東京都の下目黒・大鳥神社の近くに別邸を構えました。お墓は、目黒不動瀧泉寺の飛び地境内・目黒不動墓地にあります。人々から「甘薯先生」の名称で慕われた青木昆陽は、生前に自ら墓石に「甘薯先生墓」と刻み、住居の南に建墓。周りを樹木に囲まれ、静かにたたずむお墓は、1943年(昭和18年)5月1日、国の指定文化財に指定されました。毎年10月28日になると、目黒不動瀧泉寺で「甘藷まつり」が開催されています。10月12日の、青木昆陽の命日を偲ぶイベントです。墓前にはさつまいもや花が供えられ、境内に並ぶ露店では、焼き芋やさつまいもスイーツを販売。多くの人で賑わっています。

青木昆陽墓
住所:東京都目黒区下目黒3-20 瀧泉寺境内墓地 ※瀧泉寺(目黒不動尊)

まとめ

現在、食卓にさつまいもが並ぶ背景には、青木昆陽の働きがあったことが分かりました。最後に、記事の内容をまとめます。

  • さつまいもを日本に普及したのは、江戸時代の蘭学者・儒学者「青木昆陽」
  • 関東3か所での試作栽培を経て、日本全土に広まった
  • さつまいもを広めるきっかけになった書物『蕃藷考』
  • さつまいもは最初、1605年(慶長10年)に中国から沖縄に伝来した
  • 「薩摩国のいも」だから「さつまいも」
  • さつまいもによって、人々は度重なる飢饉から救われた
  • 青木昆陽の関連スポット3か所は、現在でも人々から愛されている

千葉県や東京都に足を運ぶ機会があれば、昆陽神社や青木昆陽墓を訪れてみてはいかがでしょうか。