五島列島・福江島の潜伏キリシタンのルーツを奥浦に訪ねて。秋の奥浦を楽しんだ1日

10月の3連休の、とある晴れた日。ふと思い立って福江の街の北に位置する奥浦地区へと行ってみました。奥浦は福江の街に近く、行きやすいこともあり、当メディアでもこれまで何回か取り上げられてきたエリアと思いますが、今回は「祈りの島」と言われる五島列島・福江島の潜伏キリシタンのルーツを奥浦に訪ねてみたいと思います。

奥浦地区へ行ってみた

秋の日射しが暑く感じられますが、この夏の酷暑を乗り越えたせいか心地よく思えます。街を出て県道126号線を5、6分行くと「六方(むかた)海岸」の案内板が見えるので、海の方へ道を曲がると、小さな漁港へ。そこから右手の山伝いに歩いていくと、、

白っぽい砂浜の海岸に出ます。ここが「六方(むかた)」と呼ばれる海岸。水の透明度が高く、美しい景色。夏の間、子ども連れの家族で賑わう海水浴場でもあり、また「玉ねぎ岩(オニオンクラック)」と呼ばれる面白い岩があることなどでも名高い海岸ですが、特筆すべきは「最初に潜伏キリシタンが島を訪れた場所」という史実です。

江戸時代後期、禁教令発令後、迫害や弾圧を避けながら密かに信仰を続けていた長崎・大村藩のキリスト教信者たちは、人口過剰となった大村藩と、人手が欲しかった五島藩の協定により、五島へ移住してくるのですが、その時最初にたどり着いたのが、この六方の海岸とされています。ここから彼らは、ひっそりと信仰を守り続けられそうな山の荒地や、小さな入江へ向かい、安住の場となることを願って集落を開拓したのでした。人々は希望を抱きながら、この海岸へ船を乗り上げたのですね。六方に着いた後、彼らは平蔵、半泊(以上奥浦)、黒蔵(大浜)、楠原(岐宿)などに住み着いたそうです。

また県道に戻り、さらに北に進んでいくと、今度は「潜伏キリシタン墓碑群」という看板が見えてきます。実は以前から気にはなっていたのですが、道案内が途中で途切れていたりなど、ちょっとわかりづらくなかなか行けずにいた場所です。現在はしっかりとした道標があり、場所まで辿り着けそう。

目下、様々な色合いのピンクの花を咲かせている南方系の植物「サキシマフヨウ」や柑橘系の実をつけている木々、そしてどこからともなく漂う金木犀の香りを楽しみながら、小高い丘を登りきったところにその墓碑群はありました。

日当たりの良い丘の上の墓地には、たくさんの組んだ石が。十字架を立てるのではなく、「石を敷き並べ、あるいは積み重ねた形状が江戸後期以降の潜伏キリシタンの墓地の特徴」と案内板には書いてありました。道を隔てて向かい合う山の斜面には、立てられた墓石の上に十字架のある、現在のカトリック教徒の方達の墓地が見えます。

そしてさらに車を進めると、この「木ノ口(木口)」地区の教会・「浦頭教会」の最初に建てられた建物の跡地とともに、キリシタンへの迫害が行われた牢屋の跡地の立て札もありました。福江島や周囲の島の潜伏キリシタンの人たちの集落には、このような場所が数カ所残されており、潜伏キリシタンの人たちが体験した残酷な歴史を後世に伝えようとする信者の方々や地域の人たちの熱い想いが伝わります。

県道に戻るとガードレールには“はさがけ”のように刈った稲穂が束ねかけられていました。奥浦は湿地帯があるため水田が多くつくられ、今は米の収穫の真只中、農家さん達が忙しく稲穂を刈り、まとめていました。

現在の「浦頭教会」のモダンな建物(これは“ノアの方舟”を模して作られたそうです)を見ながら道を進んでいくと、小さな島々が浮かぶリアス地形の奥浦湾が開け、その先には観光名所ともなっているレンガ造りの堂崎教会への入り口がありますが、今日は立ち寄らず、さらに北を目指します。(堂崎教会とその付近については、また別の機会にお伝えしますね)

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赤く聳える「戸岐橋」を渡ると、複雑なリアス海岸沿いのくねくねと曲がった道沿いに、集落が点々と現れます。どこものどかな雰囲気ですが、その集落の一つ、「宮原」にあるのが「宮原教会」。
ここ宮原に住んでいたキリシタンの人たちも、地元の寺の檀家となって仏教徒を装いながら潜伏していたそうです。禁教令廃止後、最初に建てられた教会では、祭壇の手前に障子があり、ミサの時に開けられたとのこと。この現在の教会は昭和46(1971)年に建てられました。

階段を登った先に、民家のような感じで建つ教会堂の扉を開けると簡素でありつつ、整然とした祈りの空間があり、見ている私も凛とした気持ちになりました。

さて、ここからは細く傾斜のきつい山道となり、車でそのまますれ違うことも出来ず、どちらかが待避所までバックして行き交うことになります。「前方から車が来ませんように!」と願いつつも、やはり来てしまった!!ハラハラしたり、上手く回避出来てホッとしたりしながらたどり着いたのは「半泊(はんどまり)」集落。私の大好きな場所の1つです。

半泊は、湾の中に小さな島が浮かび、対岸には久賀島のしましま模様の地層が見える、プライベート感あふれる入江です。今日もSUPを楽しんでいる女性がいました。

いつものように丸い石ころの波打ち際を眺め、好みの石を拾った後は堤防に行き、深く、引き込まれそうな蒼い海(いつも飛び込みたくなります)、そこでのんびりと泳いでいる青い魚(ソラスズメダイか?)や黒いシマシマのイシダイなどを見た後、半泊教会を訪ねます。

大正11年、アイルランドの浄財を基に教会建築の名手・鉄川與助(てつかわよすけ)によって建てられた木造建築の教会。とても可愛らしいこの教会はいつ来ても素敵に思います。海辺の石垣は、強風から教会を守るために、信者の方達が石を積み上げて作ったとのこと。信者の方々の信仰を、そして教会を愛する心が伝わるようなエピソードですね。

今でこそ過疎の集落となっている半泊ですが、最近ではクラフトジンの工房が出来たり、情報過多の日常から離れ内省を促す宿舎が建てられたりと、新たな展開を見せる場所。常に人を惹きつける場所なのかもしれません。

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やはり半泊に来ていつも立ち寄る「さとうのしお」さんのカフェへ。煩わしい日常から距離を置きたい時や疲れた時、あるいは落ち着いた気持ちになりたい時に来たくなる場所の一つです。

オーナーご夫妻と最近のことなど話しつつ、今回はレモンソーダをいただきました。地元産のレモンと、半泊の海で作られた塩の絶妙な味わい。それも作る時期によって微妙に味が変化するのだそうです。「今回のレモンソーダは、なかなか良く出来ましたよ」とオーナーの奥様。美味しくいただきました。

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いつまでもいたい半泊を後にし、奥浦の小さな集落の小さな教会に想いを馳せつつ、来た道を戻りながら立ち寄ったのは、浦頭教会のある場所から海側へ10分ほど車で着く漁港「樫の浦」。ここにある「アコウ」の巨木を見に行きます。

「アコウ」はクワ科イチジク属の木。五島市の樹木ともされています。枝から伸びる「気根」がちょっとおどろおどろしい木。実を食べた鳥によって落とされた糞の中の種が他の樹木や岩に取り憑き、そこから地面を目指して伸びる過程で、元々取り憑いた木々を締め殺してしまうという恐ろしい木でもあります(別称「締め殺しの木」とも言われているのです)。しかしその姿はなかなかの見もの。福江島や周囲の島々にはこのような巨木がありますが、「アコウの木めぐり」も面白いですよ。

最後に再び六方の浜へ立ち寄り、半泊で拾った石と、六方の浜で拾った貝殻の記念撮影。石ころは、海の水をかぶっている時とはまた違う色を見せますが、それはそれで面白く、また好みの貝殻を拾うのも、日常を忘れて良い時間を過ごすことが出来ます。

今日も奥浦の魅力を満喫、また折を見ていきたいと思います。

五島・福江島めぐり~奥浦地区に行ってきた!観光バスのコースにも必須の見どころ沢山のエリア。個性的な小さな農家レストランでランチ、五島バス「六方」バス停からすぐの六方海水浴場、乙神社跡