五島列島の大秘境!? 大板部島と赤島へ行ってきた!前編

私の住む五島市は、10の有人島と53の無人島で構成されているのですが、無人島へは定期船などのアクセスが無いため、なかなか行くことが出来ません。しかし今回、知人の計らいにより無人島の1つ、「大板部島(おおいたべじま)」を訪ねることが出来ました!大板部島とは:鬼岳や、鐙瀬(あぶんぜ)溶岩海岸に行くと、福江島の南の洋上に浮かぶ島々を眺めることが出来るのですが、「赤島」と「黄島(おうしま)」(いずれも有人島です)に挟まれて見える平らな島が「小板部島(こいたべじま)」と「大板部島」。小板部島は標高12m、大板部島は16mと、本当に平べったい島。溶岩海岸から見ると、このような感じです。

小板部島と大板部島の位置

鐙瀬溶岩海岸から見た小板部島と大板部島

大板部島は、磯釣りなどでお客さんを運ぶ「瀬渡し船」でも着岸出来る入江がなく、よって一度、近くの赤島へ立ち寄り、そこで小型の漁船に乗り換えて向かうことに。その船も定員が限られているため、今回は3回に分けての上陸作戦。私はその3回目に乗船することになったので、船が戻ってくるのを待つ間、赤島を見て歩きました。「前半・赤島篇」では、この赤島をご紹介したいと思います。

若き移住者が活躍する島「赤島」の魅力とは?

今回、船を操縦していただいたのは瀬渡し船「水天」の船長・森川さん。「赤島を盛り立てよう!」と5〜6年前に赤島へ来られた若き移住者さん。瀬渡しの他、伊勢海老漁などもされているそうです。そして赤島を案内して下さった女性は大山さん。福江港から「水天」号に乗って、赤島へ向かいます。赤島への所要時間は約30分。ちなみに赤島へは定期船「おうしま」が1日2便(1便は黄島経由)出ているので、どなたでもこれを利用して行くことが出来ます。

秋晴れの快晴、波のない穏やかな海、天候に恵まれラッキー!船は無事赤島港に到着。早速島の中心地に向かって歩いていきます。島に車はなく、道は全て歩道です。

現在赤島に住んでいる方は、森川さんを含めて約7 人(「約」というのは、常に住んではいない方もいるため)。昭和の中頃まではカツオ漁で賑わい、500人近くが住んでいたそうですが、その後遠洋漁業の発達により赤島やその隣の黄島の漁業は衰退。今は往時の面影すらなく、学校が建っていた跡地が草むらとなっていたり、廃屋が目立ちます。しかし、道の右手に突然、こんな装置が現れました。

赤島の水問題を支える革新的な技術「しまあめラボ」

<写真6>実は赤島、「水道がなく、今も天水(雨水)を利用して生活している」と聞いていましたが、数年前からこのように雨水を濾過して飲料水となるような装置が福井工業大学の先生により開発され、設置されたとのこと。そして濾過された水は、島の中心にある「しまあめラボ」に貯水され、そこから各家庭に配水されているそうです。

島の中心にある給水施設「しまあめラボ」

かつて江戸時代には「赤島黄島、水と木さえあれば福江城下にゃ負けはせぬ」と謳われたほど、漁業は盛んでも水に困っていた人々―それは現在、過疎の島となり無人島に転ずることが危ぶまれている状況でも変わっていないのですが、このように研究開発の対象となり最新技術が導入され、人々の生活の向上につながっていることに驚き、そして感動しました。また森川さんたち、島起こしに力を入れている方々にとって、とても心強い設備と思います。

かつてはこのように雨どいから流れてくる水を貯めて生活用水にしていたようですが、今なお「しまあめラボ」とは別途、続けている人もいるようです。当たり前に水のある生活が、いかにありがたいことか実感します。

赤嶋神社や廃屋が物語る赤島の歴史

また道に戻り歩いていくと、左手に大きな「赤嶋神社」が現れます。この神社の名前は「赤島」の「しま」が「嶋」と表記されており、鳥居の右側を手で触ってから一礼して参拝するしきたりがあるそうです。

その先が集落となっているのですが、集落の入り口には公民館があり、今日はトイレ利用のため管理されている人が開けておいてくれています。この建物の一部は消防用具の倉庫となっていました。

集落は廃屋となっている家が多くありました。

カツオ漁で栄えた過去と今

この路上で、赤島で生まれ育ち、今なおここで生活されている今村さんに出会いました。「昔はかつおぶし工場もあり、とても賑わっていてお祭りなども行われていたけど、漁業が衰退してからは人がだんだんといなくなった。特にカツオ漁で稼いだ人達はお金を持っていたので、いち早く島を出て福江島や本土に移り住んだのですよ」と、話されていました。

赤島をはじめ、黄島やこの周辺の島々は全て火山によってできた島。道の両脇や、海辺には火山岩を積んで作った黒っぽい石垣がたくさんあります。先ほどの今村さんのお話にあったように、カツオ漁が盛んだった時代、一稼ぎした人が住んでいた家の周囲は高く、きれいに切り込まれた石を積んだ塀に囲まれていました。

訪問者を温かく迎える「あかしまの家」の存在

その後、大山さんが案内して下さったのが「あかしまの家」。赤島を出た人達が、お墓参りなどで帰って来た時に宿泊できるよう、お金を出し合って家屋を購入、整備して作られた家です。

「あかしまの家」を案内する大山さん。

中は居間、寝室、台所とお風呂があり、きれいに整えられていました。島の人でなくとも宿泊して良いそうで、一人1泊1,500円で利用出来るとのこと。海に面した庭は広く、好きな音楽を流しながらバーベキューを楽しむ島外の人もいるようです。私はここで、散歩をしたり海で遊んだりした後、波の音を聞きながら本を読んで静かに過ごしたいと思いました。
この家の他、やはり島外からのグループや子どもたちが島を訪れて楽しんでもらえるよう、大きな廃屋を利用した施設を森川さんが中心となって作っており、目下屋根の修繕をしているそうです。少しずつ赤島を訪ねる人が増えてくるかもしれませんね。

「あかしまの家」の庭。目の前に海と溶岩海岸が臨めます。

「あかしまの家」を出て、また大山さんに島を案内していただきましたが、小さな神社がそこここにあり、また漁業が盛んだったためか豊漁の神様とされる恵比寿(蛭子)さまの石像が道端に祀ってあったりなど、人々の自然への信仰の深さが伝わりました。猫が多く見られたのも、この島の特徴かもしれません。島を出てしまった人によって残された猫が、餌をもらいながら増えたのでしょうか?

自然と歴史に触れる赤島探訪

1時間ほど歩いたのですが、他にもその名にちなんだ伝説が残されている池や、今は草が多く入るのが困難ですが火山のあった場所など、思いの外、見どころが多い赤島ですが、あっという間に大板部島へ向かう船の時間が来てしまいました。赤島にはまたゆっくり来てみたいと思います。
それではいよいよ今回の目的地・大板部島へ向かいます!

赤島でピンクや白など、色とりどりに咲いていたハイビスカスの花。