焼き芋の歴史は?江戸時代から現代まで愛される甘い文化の焼き芋

いまではスーパーやコンビニで気軽に買える焼き芋も、その始まりをたどると「おやつ」ではなく、飢饉のときに命をつなぐための代用食に過ぎませんでした。そんなさつまいもが、どうやって庶民の楽しみとして根づき、冬の風物詩へと育っていったのでしょうか。江戸の町で人気を集め、明治以降にさらに広まり、戦後には石焼き芋として復活を遂げた――焼き芋には、人々の暮らしや時代背景とともに歩んできた長い歴史があります。今回は、子どもから大人まで世代を超えて愛されてきた焼き芋の歩みを、少し振り返ってみたいと思います。

さつまいもの起源

さつまいものルーツ

さつまいものルーツをたどると、その始まりはメキシコを中心とした熱帯アメリカにあります。紀元前にはすでにアンデス地方をはじめとするアメリカ大陸全体に広がり、人々の暮らしに欠かせない食材として親しまれていました。日本に渡ってきたのは江戸時代の初め。1605年、中国との交易で福建省を訪れた野国総管という人物が、琉球王国へと持ち込んだのがきっかけとされています。そこから薩摩へと伝わり、宮崎や長崎、京都など西日本を中心に栽培が広がっていきました。

さつまいもを全国に広めた大きな転機となったのが、8代将軍・徳川吉宗の時代

さらに、さつまいもを全国に広めた大きな転機となったのが、8代将軍・徳川吉宗の時代です。飢饉への備えとして蘭学者の青木昆陽が関東で試験栽培を行い、その成果が認められて救荒作物として全国的に普及しました。当時は「琉球芋」や「唐芋」と呼ばれていましたが、薩摩から広がったことに由来して「さつまいも」という呼び名が定着していったのです。こうしてさつまいもは、異国から渡ってきた植物でありながら、日本の歴史や食文化の中で大きな役割を果たすようになったと言えるでしょう。

焼き芋の歴史

焼き芋人気が生まれたのは江戸時代後半だった

焼き芋は、今では冬の風物詩として親しまれていますが、その歴史をたどると約300年もの年月があり、江戸の庶民文化とともに発展してきました。さつまいも自体は当初、飢饉に備えるための救荒作物として扱われており、日常的に楽しむものではありませんでした。そんな流れを変えたのが江戸時代後半。町を守る木戸番たちが内職として焼き芋を売り出したことをきっかけに、人々の間で一気に人気が高まりました。

土でできたかまどの底に焙烙(ほうろく)を置き、その中にさつまいもを並べて蒸し焼き

当時の焼き方は、今の石焼き芋とは異なり、土でできたかまどの底に焙烙(ほうろく)を置き、その中にさつまいもを並べて蒸し焼きにするというもの。砂糖がとても貴重だった寛政期(1789〜1801)には、自然な甘さを楽しめる焼き芋が庶民にとって大きな魅力となり、街角に焼き芋を売る番屋が軒を連ねるほどの盛況ぶりを見せたと伝わっています。こうして焼き芋は、ただの代用食から人々の心を和ませる甘いおやつへと変わり、江戸の町にしっかりと根を下ろしていったのです。

焼き芋の商い全盛期となった明治時代

明治時代に入ると、焼き芋はさらに身近な存在へと成長していきました。背景には、維新後の東京で人口が急増したことや、米価が不安定で高騰したことがあります。お米が手に入りにくい時代に、手頃な値段でお腹を満たせる焼き芋は、多くの庶民にとって心強い味方でした。こうした需要の高まりから、大量に焼き芋を作ることができる専業店が次々に登場。冬は焼き芋を売り、夏はかき氷を提供するなど、四季に合わせた工夫で生活に根付いていきました。焼き芋屋が街のあちこちに見られるようになったのも、この頃です。

その後、大正時代から昭和初期にかけては、焼き方にも変化が生まれます。従来のかまどで焼く方法から、炭を入れた大きな壺にさつまいもを吊るし、じっくり火を通す壺焼きへと移行しました。この壺焼きは、甘みを引き出す独特の香ばしさで、多くの人を魅了したと伝わっています。

関東大震災

しかし、時代が進むにつれて洋菓子やキャラメル、さらには大学いもなど新しい甘味が台頭し、人々の関心が多様化していきます。さらに追い打ちをかけたのが1941年の太平洋戦争。さつまいもが国の統制品となり、自由に売買できなくなったことで、多くの焼き芋屋が廃業や休業を余儀なくされました。それでも、この時代を経てなお焼き芋が食文化の中に残り続けているのは、人々にとって欠かせない安心感と、自然の甘みが生み出す魅力があったからこそと言えるでしょう。

戦後はリヤカーの石焼き芋屋が登場

戦後、1950年にさつまいもが国の統制品から外れると、人々の生活に再び焼き芋が戻ってきました。その復活の立役者となったのが、リヤカーに鉄板製の箱を積み、芋を焼きながら街を巡る「石焼き芋屋」です。この石を使った焼き方は、東京・向島の三野輪万蔵が考案したと伝わっています。壺焼きに比べて火の通りが早く、焼き上がりを効率的に提供できることに加え、移動販売が可能なため、販売場所を選ばずに多くの人のもとへ焼き芋を届けられる点が大きな魅力でした。

リヤカーに鉄板製の箱を積み、芋を焼きながら街を巡る「石焼き芋屋」

こうした利便性とおいしさが相まって、石焼き芋は瞬く間に人気を集めます。特に高度経済成長期には、軽トラックに石焼き釜を積んで販売するスタイルが全国に広がり、街角や住宅街に「い〜しや〜きいも〜」という呼び声が響き渡る光景が日常となりました。大阪万博を前にしたこの頃は、まさに石焼き芋の黄金時代であり、冬の楽しみとして定着していったのです。石焼き芋文化が根強く愛されてきたのは、ただの食べ物にとどまらず、香ばしい匂いや呼び声までもが、人々の記憶に温かく刻まれていったからだといえるでしょう。

さまざまな味を手軽に楽しめる時代に

今では焼き芋といえば、昔ながらの素朴な味だけでなく、ほくほくとした軽やかな食感や、とろけるように濃厚で甘いタイプなど、多彩な楽しみ方が広がっています。スーパーやコンビニに並ぶ焼き芋は季節を問わず手に入るようになり、寒い時期だけでなく一年中気軽に味わえる存在になりました。さらに、冷やして食べる「冷やし焼き芋」や、カフェ風にアレンジされた「焼き芋フラペチーノ」など、新感覚のスイーツとして進化を続けているのも特徴です。

さまざまな味を手軽に楽しめる時代に

その人気は国内にとどまらず、海外にも波及しています。特にタイでは、日本の安納芋をはじめとする品種を使った焼き芋が注目され、ショッピングモールには専用の焼き芋器が設置されるほど。街中には石焼き芋専門店も登場し、日本発の焼き芋文化が現地の人々に受け入れられています。こうして見てみると、焼き芋は単なる昔懐かしい食べ物ではなく、新しいスタイルへと進化しながら国境を越えて愛される存在へと成長したと言えるでしょう。

まとめ

焼き芋の歴史まとめ

日本で焼き芋が広く親しまれるようになったのは江戸時代後期のこと。その人気は途絶えることなく、現代でも小さな子どもから大人まで幅広い世代に愛され続けています。ほくほくと素朴なものから、とろけるように甘いタイプまで、品種や焼き方によって生まれる表情は実に多彩です。寒い日に手を温めながら頬張った懐かしい味わいや、冷やして楽しむ新しいスタイルなど、時代ごとに姿を変えながらも、人々を惹きつける魅力は変わりません。そんな焼き芋を口にするとき、長い歴史の中で受け継がれてきた庶民の知恵や暮らしに思いを重ねれば、より一層味わい深く感じられるでしょう。