【焼き芋の歴史】江戸から令和まで4度のブームを徹底解説!焼き芋人気の理由と変遷

寒い季節になると恋しくなる焼き芋。実はその歴史は古く、江戸時代から庶民に愛されてきました。ご飯代わりに食べられた時代や、リアカーで響いた「いしや〜きいも〜」の売り声、そして近年の高級スイーツ化まで、焼き芋は時代とともに姿を変えながら何度もブームを巻き起こしてきた国民食です。長い歴史の中で進化し続けてきた焼き芋の歩みをたどると、その奥深い魅力が見えてきます。

焼き芋の歴史と江戸から令和までのブームと進化

焼き芋はいつから始まったのか?

焼き芋はいつから始まったのか?

焼き芋の最古の記録は1719年。朝鮮通信使の随員が著した『海游録』には、京都郊外で「酒や餅、煎茶と並んで焼き芋が売られていた」と記されています。つまり、当時すでに日常の風景として焼き芋が並んでいたことがわかり、江戸中期の庶民にとって身近で親しまれていた存在だったのです。これが日本における焼き芋文化のはじまりとも言えるでしょう。その後、時代の移り変わりとともに焼き芋はさまざまな形で楽しまれ、300年という長い年月の中で4度の大きなブームを経験しました。庶民の甘味として重宝された江戸時代から、ご飯代わりとなった明治、街角を彩った昭和の石焼き芋、そしてスイーツとして進化した現代まで、焼き芋は常に人々の生活とともに歩み続けてきたのです。

第1次ブーム|江戸時代後期(1804〜1868年)

庶民の砂糖代わりに大人気

第1次ブーム|江戸時代後期(1804〜1868年)

文化・文政期(1804〜1829年)、焼き芋は庶民の間で爆発的な人気を博しました。当時の砂糖は非常に高価で、一部の富裕層しか口にできない贅沢品。そのため、手軽に買えてしっかりと甘さを味わえる焼き芋は、多くの人々にとって砂糖の代用品となり、老若男女を問わず幅広く親しまれる存在となりました。寒い季節に温かく甘い焼き芋を頬張る光景は、江戸の町を象徴する風物詩のひとつだったのです。

「ほうろく焼き」から「釜焼き」へ

当初は素焼きの土鍋を使った「ほうろく焼き」が一般的で、土間や軒先に小さなかまどを作り、弱火でじっくりと焼き上げていました。しかし、人気が高まるにつれ需要が急増し、従来の方法ではとても追いつかなくなります。そこで登場したのが、底の浅い大きな鉄製の平釜を用いた「釜焼き」。古い俵や縄を燃料とすることで火力を確保し、一度に大量の芋を焼けるようになりました。効率的に供給できるようになったことで、焼き芋はますます庶民の生活に浸透し、江戸の町に欠かせない甘味として定着していったのです。

第2次ブーム|明治〜大正(1869〜1923年)

ご飯代わりに重宝された焼き芋

第2次ブーム|明治〜大正(1869〜1923年)

明治維新後、東京の人口が急速に膨らみ、さらに米の価格が高騰したことで、低所得層にとって米は手に入りにくい存在となりました。そんな中、安価で手軽に購入でき、しかも腹持ちが良い焼き芋は、多くの人々の食卓を支える代替食として重宝されます。寒い季節に温かく香ばしい焼き芋を頬張ることは、空腹を満たすだけでなく、心をほっと和ませるひとときでもありました。

焼き芋専門店「芋庄」の誕生

1869年に創業した「芋庄」は、大型のかまどを並べて一度に大量の芋を焼き上げる画期的な手法を導入し、焼き芋ブームの火付け役となります。それまで木戸番の副業として細々と売られていた焼き芋は、「芋庄」をはじめとする専門店の登場によって、一気に本格的な商売へと変貌。雇い人を抱えて安定した供給を行う店も増え、街角のあちこちで焼き芋の香りが漂うようになりました。

ブームの終焉

ブームの終焉

しかし、大正時代に入ると社会の食文化は大きく変化します。パンやビスケット、カステラなどの洋菓子が普及し、人々の嗜好が多様化したことで、焼き芋の人気は徐々に下降していきました。さらに1923年の関東大震災によって、多くの焼き芋屋が焼失や倒壊の被害を受け、廃業を余儀なくされる店も続出。こうして第2次焼き芋ブームは、大きな節目を迎えて幕を下ろすことになったのです。

第3次ブーム|昭和中期(1951〜1970年)

石焼き芋と移動販売の誕生

石焼き芋と移動販売の誕生

戦時中は芋類に配給統制が敷かれ、焼き芋の販売も長らく禁止されていました。しかし1950年に統制が解除されると、再び街に焼き芋の香りが戻ります。そして翌年、従来の釜焼きに代わって「石焼き芋」という新しいスタイルが登場しました。熱した石の上でじっくり焼き上げる方法は、甘みを最大限に引き出す画期的な調理法として人気を集めます。同時に、リアカーに焼き釜を積んで街中を回る移動販売が広まり、どこからともなく漂う香ばしい匂いや「いしや〜きいも〜♪」という独特の売り声が冬の風物詩となりました。高度経済成長期と相まって、焼き芋需要は急拡大し、1960年代半ばには最盛期を迎えます。

衰退の背景

第3次ブーム|昭和中期(1951〜1970年)

しかし、1970年の大阪万博を契機に社会の食文化は大きく変わっていきます。海外からのファストフードチェーンの進出や、急速に広がったコンビニエンスストアの存在によって、人々の食の選択肢は一気に多様化しました。手軽で新しい食べ物に人気が集まったことで、街角の焼き芋屋台は次第に姿を消し、石焼き芋の黄金期は静かに幕を閉じていったのです。

第4次ブーム|平成〜令和(2003年〜現在)

スーパーで気軽に買える焼き芋

スーパーで気軽に買える焼き芋

2003年、焼き芋の世界に大きな変化をもたらしたのが「電気式自動焼き芋機」の登場でした。遠赤外線を活用したこの機械は、焼き加減や温度を細かく調整できるため、いつでも安定した品質の焼き芋を提供できるのが特徴です。スーパーやコンビニの店頭にも導入され、冬になると身近な場所で気軽に焼き芋を買えるようになりました。それまで季節の屋台や移動販売で楽しむイメージだった焼き芋が、日常的なおやつとして定着していったのです。

高級焼き芋専門店の登場

高級焼き芋専門店の登場

同じ頃、従来の「庶民のおやつ」とは一線を画す高級路線の焼き芋も登場します。銀座三越には、1本あたり1,200円という高価格で販売される焼き芋専門店がオープンしました。甘さが際立つ厳選品種を使用し、見た目や包装にもこだわった焼き芋は、まるで高級スイーツのような存在として注目を集めます。従来のイメージを覆し、焼き芋が「特別なご褒美」として楽しまれる時代が到来したのです。

人気品種の変化

人気品種の変化

2000年代初頭は「紅あずま」が主役で、ほくほくとした昔ながらの食感が親しまれていました。ところが2003年頃からは、ねっとり濃厚な甘さを持つ「安納芋」が人気を集め、焼き芋のイメージを大きく変えていきます。さらに2015年以降になると、糖度が非常に高くスイーツのような甘さを持つ「紅はるか」が台頭し、国内外で圧倒的な人気を誇るようになりました。現在では、健康志向や自然な甘味を求める流れも後押しし、焼き芋は子どもから高齢者まで幅広い世代に愛される定番フードとして定着しています。

まとめ|焼き芋は時代を超えて愛される国民食

まとめ|焼き芋は時代を超えて愛される国民食

焼き芋は江戸から令和に至るまで、庶民のおやつ、ご飯代わり、石焼き芋屋台、さらには高級スイーツとして4度の大きなブームを経験してきました。その背景には、品種改良による多彩な味わいや、焼き方・保存技術の進化があり、現代では一年を通じて安定した品質の焼き芋を楽しめる環境が整っています。今や焼き芋は冬だけの食べ物にとどまらず、健康と美味しさを兼ね備えた食文化として日本人の暮らしに深く根付いているのです。